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ブライダルの装い協会創始者・横田富佐子氏が逝去

 東京・宮城の駅ビル(百貨店)などに美容サロンを展開する㈱ビューティ横田の創業者であり、美容師の手による洋装ブライダルの先駆者としてブライダルの装い協会を創立(いずれも現・名誉会長)した横田富佐子氏が、8月4日、94歳で逝去した。
 葬儀および納骨の儀は、遺族の意向により家族のみで執り行われた。喪主は長男の横田敏一氏(㈱ビューティ横田代表取締役)。

▲故・横田富佐子氏(月刊「ヘアモード」2008年5月号「わたしの履歴書」第11回誌面より)

美容師の地位向上を願い教育活動に貢献

 横田富佐子氏は、1927(昭和2)年生まれで、岐阜・飛騨高山の出身。1950(昭和25)年、東京・三鷹に「フサ美容室」を開業した。現在の社名は1959(昭和34)年、吉祥寺名店会館にオープンした店舗「ビューティ横田」に由来。

 業界活動において、男性経営者の発言力が大きかった時代、女性経営者としてあふれんばかりのバイタリティーを発揮していた横田氏は、NHDK(日本デザイン協会、現・横田敏一理事長)の設立初期に入会し、当時話題となったNHDK美容視察団のメンバーとして世界一周の旅に参加した。さらにICD(現・インターコワフュールジャパン〈ICDJ〉)、全日本婚礼美容家協会(現在は職業訓練法人の認可を取得)などの活動に携わって交友関係を広げた。

 常に美容師、および美容業界の価値向上を強く意識しており教育活動にも尽力。1977(昭和52)年には、全ての美容師に学びの場を提供したいとの思いから、横田富佐子総合美容文化会を発足。技術・教養・パネルディスカッションの3本立ての内容で、技術に偏らない人間力の形成を支援した。

 そして洋装ブライダルに関する独自の研究から、美容師の手による洋装ブライダルを提唱。1981(昭和56)年、第1回横田富佐子杯争奪ブライダルコンテストを開催し話題を集めた。2020(令和2)年、2021(令和3)年は新型コロナ感染症の影響で中止となったが、2019(令和元)年まで37回の開催を数える。

 著書は「Bridal:横田富佐子の洋装花嫁」「帝政ロシアの女性風俗」(横田敏一氏との共著)「武蔵野から萠えて」(いずれも女性モード社刊)、「日本大百科全書全25巻」(小学館刊、美容分野担当)など多数。

2021.08.17
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