今年10月5日に創業100周年を迎えたタカラベルモント(株)(吉川秀隆会長兼社長)は、11月15日(月)午後3時15分より、同社大阪本社1階エントランスにおいて、コシノジュンコ氏をゲストに迎え、PRトークイベントを開催した。
美しく生きる喜び~1970年大阪万博から始まる美の哲学
同社は、1921年10月5日に小さな鋳物工場として大阪で産声を上げ、本年で創業100年を迎えた。昭和初期には理容椅子の製造を開始。そして、昭和30年代初めには、日本企業としていち早くアメリカに進出。さらに、昭和40年代には医療機器分野に業務範囲を拡大し、現在では、120ヵ国を超える国で製品を取扱いしている。同社が世界に羽ばたくきっかけのひとつとなったのが、1970年に開催された日本万国博覧会(通称・大阪万博)、中小企業として唯一、単独で出展。人類の未来の生活をテーマに理美容機器を進化させた「タカラ・ビューティリオン」というパビリオンを出展した。
トークイベントに先立ちあいさつに立った吉川秀隆会長兼社長は「弊社は先月創業100周年を迎えることができた。そして11月16日は、1970年大阪万博の会場にて当社パビリオンが第1番目に敢行した記念の日でもある。明日から公開される特別展示は大阪万博に関するは奔放初公開の貴重な資料を展示しております。皆さまには、ゆっくりと見学して頂ければと思います」と述べた。また、「当社パビリオン『タカラ・ビューティリオン』は近未来的のデザインが特長であった。プロデュースは、建築家・黒川紀章氏が手掛け、ファッションデザイナー・コシノジュンコ氏と若手の新進気鋭の方々がチームを組んで取り組んでいただいた。2019年に設定した当社のパーパス「美しい人生を、かなえよう。」と当時のパビリオンのテーマ「美しく生きる喜び」は通じるものと思う」と語った。
トークイベントでは、コシノジュンコ氏より、1970年の大阪万博『タカラ・ビューティリオン』のコンパニオンが着用するユニホームをデザインした解説について「ほかにないものをいかに作るかがテーマでした。マントは動くと華やかで回ると円形になっていてリバーシブルになっている。当時はミニスカートが流行だったころに斬新的なパンツルックにした。あの当時は魅せること、パフォーマンスすることがとても新鮮でした」と振り返った。
建築家・黒川紀章氏から、衣装のデザインの依頼があり当時、黒川氏が新宿で流行ったパブで知り合い、そこには多くの文化人が集まっていた中での出会いであったとエピソードを話した。
吉川会長兼社長は「黒川氏が設計したタカラパビリオンの設計図とスケッチが見つかり、お借りして展示している。斬新なパーツを組み合わせたジャングルジムのような構造体にカプセルホテルを組み込んだ未来建築を想像させるパビリオンは一際目立った」と当時を振り返った。音楽は日本の作曲家・一柳 慧(いちやなぎ・とし)氏が作曲し、パビリオンで流していた音楽の一部を聞かせた。
一方、万博に一企業が単独でパビリオンを出展することは、ものすごいことで、創業者である吉川秀信氏が、社内外からの猛反対を受けたにも関わらず「人々の美と健康を提供する企業」として社会に貢献しなければならないという強い意志のもと、この壮大なプロジェクトがスタートしたそうだ。
最後に2025年開催の大阪関西万博について、吉川会長兼社長は「弊社は今回の万博には出展はしないが、大阪の経済界や地域エリアに対して応援していく強い思い、考えを持っている」とし、大阪府・市主体の2025年日本国際博覧会大阪パビリオン推進委員会で推進を通じ活動する。コシノ氏は公益社団法人2025年日本国際博覧会協会シニアアドバイザーを務める。最後にコシノ氏と吉川会長兼社長は「万博を2回もやる都市はないわけですから、大阪を盛り上げて、いざとなればなにわの団結力と底力でやっていく」と意欲を示した。


