• 美容界ニュース

ファッションデザイナー・森 英恵氏の目を美容業にも向かせた天才美容師の存在

 世界的ファッションデザイナーである森 英恵氏が逝去した。96歳の高齢でありながら、亡くなる直前まで若手デザイナーの指導をしていたという。故人の経歴は数多のメディアで報道されている通り。日本を代表する著名デザイナーの中でも唯一無二の光を放つ存在で、影響を受けた美容師も少なくないだろう。

初期のJHAで審査委員長を担当、大賞受賞者のプレゼンターも

 森 英恵氏と美容業界との関連として最も代表されるのは、フォトコンペティションの国内最高峰として位置づけられる「ジャパン ヘアドレッシング アワーズ」で、第1回~第7回までの審査委員長を務めていたことだろう。当時の原宿・表参道エリアにおけるファッション文化の象徴としてハナエモリビルを構え、ハナエモリ・グループが運営していた美容サロン『スタジオV』は若い美容師の憧れの的であった。

初期のJHAで審査委員長を担当、大賞受賞者のプレゼンターも
▲月刊「ヘアモード」1992年2月号より

 森 英恵氏が、アパレルファッションにとどまらず美容にも注力するようになったのには、一人の伝説的な美容師との出会いが大きく起因している。その経緯がわかる記事の一部を、過去の『ヘアモード』より発掘できたので、追悼の意を込めてここに掲載する。

〈記事途中より〉
 1979年、すでに巨大なる名声を手にしていた須賀勇介はハナエモリ・グループの美容部門にディレクターとして参加している。その経緯をファッションデザイナーの森 英恵氏に伺ってみた。
「須賀さんには、私がショーをする時いつもヘアをやっていただいていたんです。ニューヨークでショーをする時ばかりでなく、パリやモナコ、ミラノでも彼は飛んできてくれました。もう、親友でしたから……私の息子(森 顕氏)と須賀さんが『美容は美容、服は服と分けるよりも、衣食住を総合的に提供して素敵なライフスタイルを提案していくべきだ』という話をしていて、そこから生まれたのがスタジオV運動なんです。須賀さんが美容担当、息子が服飾担当でスタジオVを立ち上げたんですよ……かつての日本の美容業界を外側から眺めていると、技術はいいけれどファッショナブルな感じが足りなかったのね。彼はそんな東京の美容をファッションにした人だと思います。彼はファッション・センスがあってクリエイティブだったから成功したのね」
~月刊『ヘアモード』2004年6月号 「レジェンド〈伝説〉美容業界を創り上げた人たち 第二回 須賀勇介」より抜粋~

2022.08.18
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