JBCA 2024年第2回全体総会で、東京エリアの会...
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打撃系の格闘技大会・K-1 WORLD GPおよびKrushの女子アトム級(45㎏以下)チャンピオンに在位するK-1選手・菅原美優さんのもう一つの顔。air 銀座タワーに勤務する美容師である。格闘技界においてすでにトップアスリートとしての存在感を放つ彼女が、美容との二足の草鞋を選んだ理由とは何か? スポンサーとして彼女の活躍を支援し、家族ぐるみの付き合いもあるというシザーズメーカー、(株)ヒカリ代表取締役・高橋伸一氏の計らいで、インタビューの機会を得た。
K-1選手・菅原美優さんのプロフィールには、「父親の影響で小学生1年生の時から空手を始めた」とある。いわゆる二世アスリートで、かなりの英才教育を受け、輝かしい成績を積み上げてきたのだろうと想像をしてインタビューを開始したが、返ってきたのは意外にも、競技に対してネガティブな印象からのスタートだったという、幼い時代の回顧だった。
菅原美優さん(以下、菅原) 本当に自分は何をやらされているんだろう、という思いでいっぱいでした。ただただ痛いばかりで、年中アゴやアバラを骨折していて辛さしかありません。小学生以下の大会は男女のクラス別がなく、1年間1勝もできないような年もあって、ちっとも楽しくないし、本気でやるものではないと思いましたね。やめたい思いも強かったですが、母親まで道場に通い始めて逃げられない状態をつくられちゃったんですよ。
--今やワールドチャンピオンですから想像しにくいのですが、いつ頃から前向きにというか、楽しさを感じられるようになったのですか?
菅原 中学時代なんかは部活を理由に道場から距離を置いていましたからね。その間も母親は道場に通い続けていて、犬の散歩がてら迎えに行くという変な状況になっていて……、ただ、その間いろいろ他のスポーツをやってみたんですけど、どれもうまくいかないせいもあったのかな。
結局、高校生になってからなんとなく格闘技の方に復帰したんです。そしたら、子供の頃あれだけ辛かったのに、打撃を受けても痛くないし、自分の攻撃が通用するので、少しずつ前向きになっていきました。その頃はキックボクシングルールで練習を始めていて、男女別だったこともあり「ああ、これはスポーツなんだ」って改めて感じました。
格闘技に復帰後、K-1のアマチュア大会に出場し、何度も優勝を経験。プロデビューの話も浮上するが、その時には、地元・東京都板橋区にある資生堂美容技術専門学校のトータルビューティコースへの進学を決めていた。
――美容という仕事への憧れはいつ頃から?
菅原 もともとは美容師志望ということでなく、結婚式場でアルバイトしていた関係で、ブライダルメイクの勉強をしたいと思ったのがきっかけです。
――高校生の段階でプロ格闘家の道が開けていたようですが、美容学校に進学したのはなぜ?
菅原 美容学校の進学が決まった後に、プロ転向のお話をいただいたというタイミング的な理由もあるのですが、ケガなどでいつ引退することになるかも分からない世界ですから、手に職を付けた方がいいと、親と相談しながら決めました。
――美容学校と道場通いの両立は大変だったのでは?
菅原 何かの競技をしながら学校に通うというのは、誰にでもあることだし、そこは想像の範疇でした。ただ、トレーニングのレベルを上げるために地元の道場から、三軒茶屋のK-1ジムに移籍して、その月会費とそこに通う定期代を賄うためにアルバイトをしなくてはいけなくて、家に帰るころにはもう寝るだけという毎日が続いたのは、慣れるまできつかったですね。
――逃げ出したくはなりませんでしたか?
菅原 私の場合は「やらなきゃいけない」ことが決まっていた方が、それに向けて行動すればいいだけなので、迷うことなく突き進めました。また、そういった生活の中で、時間の使い方も身に付いていったような気がします。
――美容学校での生活はいかがでしたか。
菅原 美容師資格を取ることが一番の目的でしたので、退屈に感じることの方が多かったですね。ブライダルメイクを学びたいのに、試験課題の練習もしなくてはならなくて…。それでも、プロ講師の美容師の方の授業などを受けているうちに、カッコいいなと感じはじめ、美容室で働くのもありだなと思うようにもなりました。
――クラスメートも菅原さんが格闘技の大会に出場していることは知っていたのですか。
菅原 ええ、温かく応援してくれていました。プロデビュー戦の時は寄せ書きをいただいたり、2戦目の時は授業後にそのまま試合会場に向かう感じで、熱い声援で送り出してくれたり、とてもありがたかったです。
美容学校の卒業年になって、プロ格闘家としての前途が開けていたため、就職相談においても就職の意思がないことを担当教員に伝えていた菅原さん。実は相談に乗っていた教員も空手の経験者で、彼女の意向に理解を示した。それでも、ひょんなことから美容師との二刀流を目指す道が開ける。
――airの所属というのは、プロモーションやスポンサー契約ではなく従業員として就職されたのですか。
菅原 そうです。就活は全くしていなかったのですが、木村直人さん(元air執行役員)の方から興味を示していただきました。「これからの美容師はサロンワークだけでなく、才能があればそれぞれの分野でも力を発揮していくべき」と考えていらっしゃって「airに両方の夢をかなえる環境を整えるので、一緒に周りの意識を変えていこう」とお声がけいただきました。それは自分にとって大きなチャンスだと思い、二つ返事で「お願いします」と。
スポンサー契約についていろいろ面倒を見てくれたのも木村さん。若いアスリートがスポンサー契約で失敗するケースが少なくないことをよく知られていて忠告をいただいたり、契約書類の見本もつくってくださったりしました。
――実際、就職されて美容師の仕事の難しさを感じられることはありますか。
菅原 ちょうど新型コロナウイルスが広がり始めたタイミングで、入社式も行われずお店が1か月間休業していましたので、就職1年目は、仕事の難しさを感じる前に、顔も確認できないまま辞めていった人もいて、孤独との戦いでしたね。格闘技の方もまだ2年目の駆け出しでうまくいかないことも多く、どうしたらいいのか本当に余裕がなくて体調を崩してばかりでした。
最近になってようやく周りが見えてきて、両方をやっていて良かったと思うまでになりました。
--気持ちの切り替えができてきたということですか。
菅原 切り替えるというよりは、一点集中できない環境というか、私は一つのことに集中すると周りが見えなくなってしまうんですけど、格闘技と美容を両方やらなくてはいけない。格闘技ばかりに集中してサロンワークが疎かになるというのは、お客さまに対して責任を果たせていないことになるじゃないですか。
それぞれの取り組みに対して、別のことに集中しているという意識があるから、いつもは気づけないことに気づいたり、逆に些細な悩みがあっても、もう一方に集中することで忘れてしまえたり。忘れてしまうということは、たいした悩みではなかったんだって割り切れるんですね。
もう一つは格闘技に関して、周りは経験者ばかりという中でやっていますから、そういった目線での意見しか聞けないのですが、サロンだとそうではない意見を聞けることもあり、普通に励ましの声もいただけるんですけど、「そういう見方もあるのか」と気づかされることもあり、とても勉強になります。
――現在はアシスタントということですが、デビューまではいかがですか? 菅原さんにカットしてもらいたいファンの方も多いと思います。
菅原 まさに今、デビューに向けて頑張っていて、朝早くから出社してカット練習をしています。仕上がりをチェックしていいただくのに幹部の方にも立ち合っていただいて、申し訳なくもあるのですが、自分でも納得できるレベルになるまでこだわりを持って、必死で取り組んでいます。
格闘技の世界では、常にトップレベルのクラスで対戦相手としのぎを削る戦いを繰り広げている菅原さん。まだまだやりたいことがたくさんあると、鍛錬を続けながら進化を続けている。技や体躯の強度が増していることはもちろん、知名度が上がるのと比例して出会いの幅が広がり、人間・菅原美優としての成長も上昇の一途。その経験値を美容師のスキルに変換することができたならば、どのようなヘアデザイナーが誕生するのだろう。
菅原 本当に濃密な時間を過ごせていると思います。それを無駄にしないために一つでも多くのことを貪欲に吸収したいですね。
――これはもう少し先の話になると思いますが、将来的にはお店を持つことも考えていますか。
菅原 いっそのことジムと一体化した美容室があってもいいのかな、と想像しています。トレーニングを終えてシャワーを浴びたら、そのままヘアをつくりに行くみたいな。今、格闘技はショービジネスの面も強くなっていて、個性的なヘアスタイルの選手も多いと思いませんか。格闘家というのはナルシストが多いですから。きっと楽しい場所になると思います。
<2023年8月 於:air銀座タワー>
(株)ヒカリ 高橋伸一社長(写真右)が見た菅原美優さん
「息子が格闘技をやっている関係で、ある大会の会場で菅原さんのポスターを見て、美容業界になじみのある企業ロゴがいくつも入ったリングコスチュームを着ていたので、どういう選手なんだろうと強く興味を持ちました。それからいろいろ問い合わせをしまして、彼女自身が美容師であることを知り、スポンサーとして名乗り上げるまで、ほとんど時間を要しませんでした。
『人の顔を殴るより、カットする方が何倍も難しい』と格闘家ならではの感覚から発せられる言葉も衝撃的で、どんな美容師になるのか本当に楽しみで、今後も格闘家と美容師両方の菅原さんに注目し、応援してまいります」
PROFILE/菅原美優(すがわら・みゆう)
1999年生まれ、東京都板橋区出身。父親の影響で小学1年から空手を始め、高校在学時にK-1アマチュアに出場。全日本大会チャレンジBクラストーナメントで3度の優勝を果たす。ブライダルメイクを学ぶため、資生堂美容技術専門学校に進学。同校に在籍しながらも格闘技を続けプロ選手としてデビュー。K-1ジム三軒茶屋シルバーウルフに所属する。第3代Krush女子アトム級王者、第2代K-1 WORLD GP女子アトム級王者のタイトルを引っ提げて、(株)エアーエンターテイメントに入社。現在はair銀座タワー店に勤務し、ヘアスタイリストデビューを目指している。
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